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労働新聞 2024年3月15日号 7面・通信・投稿

映画紹介『戦雲』
(三上智恵監督)

島で進む「戦争前提」の現実

 本当に怖い映画というのはこういう作品なのかもしれない。v  いかに評価の高いホラー映画であっても、それがフィクションであれば、恐怖は劇場内に限られる。ホールを出れば私たちは日常に戻ることができる。
 しかし、現実と地続きのドキュメンタリー映画は、劇場を出ても付きまとい、私たちを元の日常に戻してくれない。上映中に劇場内に満ちていた重苦しい空気はいつまでも肺の中に残り続ける。そんな空気がこの『戦雲』だ。
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 何が怖いのか。本作の舞台である沖縄の島々では、政府により万事が「戦争前提」で淡々と進められているという、その無慈悲で無造作な事実がありのままに映し出されていることだ。
 監督の三上氏は、前作の『証言 沖縄スパイ戦史』(2018年)で、80年前の沖縄戦の前の時期に焦点を当てた。軍隊が配備されたときには既に沖縄の地域社会は軍国主義にのみ込まれており、軍隊が来る前から戦争は始まっていたという実態を、証言などから明らかにした。戦争の怖さではなく、戦争前の怖さを描いていた。
 その上で、「それは旧日本軍がやったこと」などと「過去」として片付けられぬよう、現在の自衛隊の資料から、今もなお住民は作戦のための「道具」ないし「監視の対象」となっている事実などを紹介した。
 その6年後に公開される本作では、もう自衛隊の資料という紙上の話ではなくなっている。島々では自衛隊のミサイル基地や弾薬庫の建設が着々と推し進められ、自衛隊員が地域に浸透し、戦場化を前提としたシェルター建設計画も進み、島外避難に向けた住民説明会が行われている。この現状を「もう戦争が始まっている」と言っても言い過ぎではないことは、三上氏の前作を見れば明らかだ。
 本作は実に淡々としている。島民たちが日常生活を送るかのように、防衛省は淡々と基地を建設し、住民の建設反対の訴えを自衛隊員や基地警備員は淡々と眺めている。こういう風景こそがまさに戦争前夜の風景なのかもしれない。
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 象徴的な場面がある。与那国島で「島外避難にかかる島民との意見交換会」なるものが開かれる。出席した畜産農家の男性は、1700人もの島民が本当に無事に避難できるのか、また自分のように家畜を置いて避難できない者はどうしたらよいかなど、切実な疑問を防衛省にぶつけるが、防衛省の役人の答えはのらりくらりとしたもので、まさにお役所仕事。
 かつてナチス・ドイツのアドルフ・アイヒマンは、自らが行ったアウシュビッツ強制収容所でのユダヤ人大虐殺について、何の反省の色も示さなかった。彼は「上からの命令に従っただけ」との認識だった。このような凡庸な小役人が希代の大虐殺を淡々と執り行っていたという史実……。
 防衛省の小役人も、自らの責務を淡々とこなしているだけなのかもしれない。しかしその仕事が、島を戦場にし、島民を死に追いやることにつながる仕事だと、どれぐらい自覚しているのだろうか。
 意見交換会の後、自らの危機感と防衛省の姿勢の間に途方もない溝を感じた畜産農家の男性は、「国が守ろうとしているのは、国土であって、国民の命じゃないんじゃないか。私たちは命を助けてもらえる状況になく、一番国に命を粗末に扱われている国民なんじゃないか」などと絶望する。
 だが、いかに政府が戦争前提でことを推し進めていても、まだ現実には戦争に至っていない。これからいくらでも事態を変えることはできる。この『戦雲』が三上氏の次作のプロローグとならぬよう、劇場を出たら行動を起こそう。(T)


『戦雲』(2024年製作/132分)

 『標的の村』『沖縄スパイ戦史』の三上智恵監督が、沖縄など南西諸島の急速な軍事要塞(ようさい)化の現状と、島々の暮らしや祭りを描いたドキュメンタリー。
 日米両政府の主導のもと、自衛隊ミサイル部隊の配備や弾薬庫の大増設、全島民避難計画など、急速な戦力配備が進められている南西諸島。2022年には台湾有事を想定した日米共同軍事演習「キーン・ソード23」と安保三文書の内容から、九州から南西諸島を主戦場とする防衛計画があらわになった。
 三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などをめぐって取材を続け、迫り来る戦争の脅威に警鐘を鳴らすとともに、過酷な歴史と豊かな自然に育まれた島の人々のかけがえのない暮らしや祭りを鮮やかに映し出す。


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